ビートルズの歴史において、『Abbey Road』はメンバー全員が最後に力を合わせて作り上げた金字塔でした。その後にビートルズは解散してしまったことにより、『Abbey Road』は「解散を意識して」作られたアルバムとの認識が広まってしまっています。
でも、実はビートルズ内でもう一枚のアルバム計画が話し合われていたようなのです。これは、ビートルズ研究家のマークルイソンが発掘した音源から明らかになりました。ジョンレノン、ポールマッカートニー、ジョージハリスンが集まって(リンゴスターは欠席)、『Abbey Road』の次回作の構想を練っていたというのです。その内容は、ジョンとポール、ジョージが4曲ずつ、リンゴが2曲を持ち寄って作るというもの。結局、このアルバムは作られることはなかったのですが、この事実は、ビートルズのファンにとって、今もなお夢見るような「もしも」の物語を生み出してくれます。
もしこのアルバムが実現していたら、ビートルズの歴史はどう変わっていたのでしょうか?特に注目すべきは、ジョージの存在です。彼はこの時期、飛躍的な成長を遂げており、『Abbey Road』では「Something」や「Here Comes the Sun」といった名曲を提供していました。次回作では、さらに多くの楽曲を提供する機会を得ていたかもしれません。さて、どんな曲を提供してくれていたのか。ここでは、そんな想像を膨らませて、この4曲じゃないかというのを提示したいと思います。
いつものことながら、独断と偏見にもとづいています。温かい目で見守ってください。
ジョージ・ハリスンの次回作に用意する候補曲
候補曲の選定として、いくつかの基準を用意しました。まずは、1968~1970年の段階で構想として存在していた曲であること。そして、ビートルズのセッションで演奏されたことがある、もしくはジョージ自身がビートルズの作品として仕上げようとしていた楽曲であること。これらのいずれかに該当する曲を候補としています。
一応、好き勝手に選んでいるわけではないことをご理解ください。それから、網羅しているわけでもないので、その点もお含みおきください。では、まずはこの曲から。
All Things Must Pass
「All Things Must Pass」は、ジョージが1968年頃に書き、1969年の『Get Back』セッションで何度も演奏された楽曲です。ジョージはこの曲をビートルズのアルバムに収録することを望んでいましたが、バンドとしての正式なアレンジや録音には至らず、最終的には1970年にリリースされたソロアルバム『All Things Must Pass』のタイトル曲として発表されました。
この曲は、ジョージが当時交流のあったザ・バンドの音楽、特に「The Weight」のような楽曲から影響を受けたとも言われていますが、その点については明確な証拠はなく、推測の域を出ません。歌詞のテーマは「すべてのものは移り変わる」という仏教的・哲学的な無常観を描いており、ビートルズ内部の緊張感や変化を象徴するような内容とも読み取れます。『Get Back』セッションでは、ジョンとポールも演奏に加わりましたが、バンドとしての完成には至りませんでした。
もしビートルズがこの曲を正式に録音していた場合、ポールの流れるようなベースラインやジョンのリズムギターが加わり、よりバンドらしいアレンジになった可能性があるんじゃないでしょうか。また、1970年のソロ版でフィル・スペクターが施した「ウォール・オブ・サウンド」のような重厚なプロダクションではなく、シンプルなアコースティック・アレンジが採用されていたかもしれません。ただし、これはあくまで推測であり、実際にどのような形になったかは不明ですけどね。
ジョージがこの曲をバンドで完成させることを強く望んでいたことを考えると、ビートルズの次回作の候補として十分にふさわしい楽曲だったと言えるでしょう。しかし、バンドの解散が近づいていた当時の状況を考えると、うーん、どうなんでしょうね。
Isn’t It a Pity
「Isn’t It a Pity」は、ジョージが1966年頃に作曲したとされる楽曲で、少なくとも『Abbey Road』(1969年)の制作時にはすでに完成していました。しかし、当時のビートルズのアルバムには採用されず、最終的に1970年のソロアルバム『All Things Must Pass』で正式に録音・発表されました。
この曲の歌詞は、人間関係のすれ違いや喪失感をテーマにしており、ビートルズのメンバー間の関係性とも重なる部分があります。壮大なバラードであり、「Hey Jude」や「Let It Be」と並ぶようなアンセムになり得る楽曲でした。ジョージ自身はこの曲をビートルズに提案しましたが、ポールやジョンによって却下されたとされています。当時のバンド内では、ジョージの楽曲が十分に採用されない状況が続いており、この曲が収録されなかった背景には、メンバー間の主導権争いや緊張関係も影響していたと考えられます。
もしビートルズが解散を回避し、次回作を制作していたとすれば、この曲が収録される可能性は高かったでしょう。実際、1970年のソロ版ではフィル・スペクターのプロデュースによる壮大なアレンジが施されましたが、ビートルズ版が存在していたとすれば、「Hey Jude」のような長尺のバラードとして、よりバンドの演奏を活かしたアレンジになっていた可能性があります。特に、ポールのメロディアスなベースラインやリンゴのダイナミックなドラムが加わることで、ソロ版とは違った魅力が生まれていたかもしれません。
Let It Down
「Let It Down」は、ジョージが1968年頃に作曲した楽曲で、1969年1月の『Get Back』セッションの中でデモ演奏されたことが確認されています。しかし、バンドとして正式にアレンジされることはなく、最終的に1970年のソロアルバム『All Things Must Pass』に収録されました。
この曲は、静と動のコントラストが強く、激しいダイナミクスとエモーショナルなメロディが特徴的です。ジョージのソロ版は、フィル・スペクターのプロデュースにより、分厚いオーケストレーションとエコーのかかったサウンドが際立っていますね。もしビートルズが解散を回避し、次のアルバムを制作していたならば、「Let It Down」も収録候補となった可能性が高いでしょう。
ビートルズ版が存在していた場合、サウンドはよりシンプルで、バンド演奏のグルーヴを生かしたアレンジになっていたかもしれません。ポールのベースラインが曲に独特の推進力を与え、ジョンがリズムギターで曲の激しさを支えた可能性もあります。また、リンゴ・スターのドラムが楽曲のダイナミクスをさらに強調し、ジョージのヴォーカルと調和する形で仕上がっていたことが考えられます。
『Get Back』セッションでは、この曲がデモ段階のまま終わってしまったものの、もしメンバーが積極的に関わっていたならば、より洗練されたアレンジになったことでしょう。ジョージの楽曲がよりバンドのサウンドと融合し、シンプルながらも力強い仕上がりになっていた可能性が高い楽曲のひとつです。
Run of the Mill
「Run of the Mill」は、ジョージが1969年から1970年初頭にかけて作曲した楽曲で、最終的に1970年のソロアルバム『All Things Must Pass』に収録されました。歌詞には、当時のビートルズ内部で生じていた人間関係の悪化や、アップル・コアの経営を巡る対立が反映されていると考えられています。特に、アラン・クレインを新たなマネージャーとして迎えるかどうかで生じた意見の食い違いが、ジョージの思索の背景にあった可能性があります。
この曲のテーマは「選択の自由」と「その結果の責任」にあり、ジョージが当時感じていた疎外感や、バンド内の関係性の変化が投影されています。ビートルズ後期において、ジョージはソングライターとしての自立を強めつつあり、この曲もまた、彼が個人の表現を深めていく過程で生まれた重要な作品の一つと言えるでしょう。
もしビートルズがこの曲を正式にレコーディングしていたら、ジョージのアコースティック主体の楽曲に、ポールの流れるようなベースラインやジョンの独特なギターアプローチが加わり、よりバンドらしいサウンドになっていた可能性があります。また、リンゴのドラムが楽曲の切なさを引き立て、メンバーのハーモニーが重なることで、ソロ版とは異なる雰囲気に仕上がっていたかもしれません。しかし、この時期のビートルズはすでに解散の方向へ進んでいたため、実際にバンドで録音する機会はなかったと考えられます。
結果的に、「Run of the Mill」はジョージのソロ活動の幕開けを象徴する楽曲となり、『All Things Must Pass』において、彼の成熟したソングライティングを示す一曲として際立っています。
Hear Me Lord
「Hear Me Lord」は、1969年にジョージが作曲した楽曲で、「Get Back」セッション中に披露されたものの、ビートルズの正式な録音には至らなかった作品です。その後、1970年のソロアルバム『All Things Must Pass』に収録され、宗教的なテーマとゴスペル的なアレンジが際立つ楽曲として完成しました。
本作は、ジョージが精神的な探求を深めていた時期に生まれたもので、神への祈りや赦しを求める内容が歌詞に表れています。ちょうどこの時期、ビートルズのメンバー間の関係は悪化し、バンドは崩壊の危機に直面していました。しかし、「Hear Me Lord」が直接その状況を反映した楽曲かどうかは明確ではなく、むしろジョージの宗教観や信仰心が色濃く反映された作品といえるでしょう。
もしビートルズがこの曲を正式に取り上げていた場合、ポールのピアノやコーラスワークが加わり、壮大なバラードへと発展していた可能性があります。また、ジョンのリズムギターが楽曲の土台を支え、よりバンドらしいアレンジになっていたかもしれません。一方で、ビートルズ版が存在していたなら、「Across the Universe」のような静謐で内省的な雰囲気になっていた可能性も考えられます。いろいろと想像がめぐりますね。
ソロ版では、フィル・スペクターのプロデュースによる分厚いサウンドが特徴的ですが、ビートルズが演奏していた場合、よりシンプルで楽曲の祈りのような要素が際立つアレンジになっていたかもしれません。「Hear Me Lord」は、もしビートルズ時代に発表されていたなら、ジョージの精神的な変化を象徴する重要な作品として、また違った評価を得ていたことでしょう。
Window, Window
「Window, Window」は、1969年1月の『Get Back』セッションでジョージが披露した楽曲のひとつです。セッション中のリハーサル音源が残っているものの、正式なスタジオ録音は行われませんでした。その後、1970年5月26日にフィル・スペクターのプロデュースのもと、『All Things Must Pass』用のデモ録音が試みられましたが、最終的にアルバムには収録されず、公式リリースには至りませんでした。
この曲は、ジョージがソングライターとしての自信を深めつつあった時期に書かれたものであり、シンプルなコード進行と素朴なメロディが特徴です。ただし、歌詞や構成には未完成な部分が多く、当時のビートルズのアルバムに収録される可能性は低かったと考えられます。実際、『Let It Be』の収録曲としても採用されず、その後のジョージのソロキャリアにおいても正式な形で発表されることはありませんでした。
もしビートルズで正式にレコーディングされていた場合、ポールのベースやジョンのギターが加わることで、より完成度の高いアレンジに仕上がっていた可能性もあります。しかし、当時のバンドの状況を考えると、ジョージの楽曲が積極的に取り上げられる機会は限られており、「Window, Window」もまた、その流れの中で埋もれていった楽曲のひとつと言えるでしょう。
I’d Have You Anytime
「I’d Have You Anytime」は、ジョージとボブ・ディランが1968年11月にウッドストックで共作した楽曲です。最終的にジョージのソロアルバム『All Things Must Pass』のオープニングトラックとして収録されましたが、ビートルズのセッションで演奏された記録はなく、グループの楽曲として採用される可能性は極めて低かったと考えられます。
この曲は、ジョージがボブ・ディランの自宅を訪れた際に生まれたもので、主にジョージが作曲し、ディランが一部の歌詞を手伝ったとされています。歌詞は、ジョージがディランに対して「もっと心を開いてほしい」と願う気持ちを込めたものであり、温かみのあるコード進行と、優しく語りかけるようなメロディが特徴です。『All Things Must Pass』ではフィル・スペクターのプロデュースにより、豊かなサウンドが加えられています。
ビートルズがこの曲を取り上げていた場合のアレンジについては想像の域を出ませんが、もしバンドが存続し、次回作のための選曲が行われていたとすれば、ジョージがこの曲を持ち込んでいた可能性はあります。ただし、当時のビートルズの楽曲制作の状況を考えると、メンバー全員がこの静かなバラードをアルバムに採用するとは考えにくく、バンドのスタイルとの親和性を考慮すると、収録される可能性はやや低かったと言えるでしょう。
次回作に収録されるジョージハリスンの4曲はこちら(予想)
もしビートルズが『Abbey Road』の次のアルバムを作っていたら、ここに挙げたジョージの候補曲の中から、どれが収録されていたでしょうか? 選ぶポイントとして、以下の3つの条件を設定しました。
- 1969年9月までに存在していたか
- ビートルズのセッションで演奏されたか、または当時ジョージがビートルズで発表しようとした形跡があるか
- ジョージ自身が当時ビートルズで発表しようとしていたか、もしくは発表の意向を示していたか
この条件をもとに、特にアルバム入りの可能性が高そうな4曲を選んでみました!
All Things Must Pass
『Get Back』セッションで何度も演奏されており、ジョージ自身もビートルズで録音することを試みた楽曲です。哲学的な歌詞と美しいメロディが特徴で、アルバムの中核を担う楽曲になった可能性は高いでしょう。最終的にはソロで壮大なアレンジが施されましたが、ビートルズで仕上げられていたら、ポールのベースラインやジョンのギターが加わり、よりバンドらしい仕上がりになっていたかもしれません。もしアルバムに収録されていたら、「Let It Be」や「Something」に並ぶクラシックになっていたかも。
Isn’t It a Pity
この曲は『Abbey Road』の時点ですでに存在していましたが、最終的にはアルバムに収録されませんでした。もしビートルズが次のアルバムを制作していたら、ジョージが再び提案していた可能性は高いでしょう。壮大なバラードで、「Hey Jude」のような長尺のアンセムになっていたかもしれません。ビートルズ版が存在していたら、ポールのピアノやジョンのコーラスが加わり、よりドラマチックなアレンジになっていたのではないでしょうか。
Let It Down
『Get Back』セッションで演奏されていた曲のひとつで、ダイナミックな展開とエモーショナルなメロディが特徴です。最終的にはソロで分厚いオーケストレーションが施されましたが、ビートルズ版が存在していたら、もっとシンプルなバンドサウンドになっていた可能性が高いでしょう。もしポールやジョンが積極的に関わっていたら、アレンジに変化が加わり、よりコンパクトなロックナンバーになっていたかもしれませんね。
Hear Me Lord
1969年の段階で既に存在しており、ジョージ自身がビートルズで録音を試みた楽曲です。ゴスペル調の壮大なバラードで、もし採用されていたら「Let It Be」や「The Long and Winding Road」のような感動的な楽曲になっていた可能性があります。ジョージのソロ版ではスピリチュアルな雰囲気が強調されていますが、ビートルズで演奏されていたら、よりシンプルでバンドのコーラスワークが際立つアレンジになっていたかもしれません。
まとめ:もし『Abbey Road』の次があったなら
『Abbey Road』の次にもう一枚アルバムがあったら…。そんな夢のような想像の中で、ジョージの楽曲はどんな存在感を放っていたでしょうか? ビートルズ時代の彼は常にジョンとポールの影に隠れがちでしたが、1969年にはすでにソングライターとしての才能が開花し、自信を深めていました。もしバンドが続いていたら、次のアルバムではジョージの曲が今まで以上にフィーチャーされ、彼の時代が到来していたかもしれません。
実際に『Get Back』セッションやそれ以前から存在していた楽曲の中には、アルバム入りしてもおかしくない名曲が揃っています。もしこの4曲がビートルズ名義で録音されていたら、アレンジはどんな風に変わっていたのか、ジョンやポールはどう関わっていたのか…。そんな想像をしながら、"もうひとつのビートルズラストアルバム" を考えてみるのも楽しいですね。
ジョージがビートルズで実現できなかったこと、そしてその後のソロキャリアで開花させたもの。その境界線をもう一度見つめ直すことで、彼の音楽の本当の魅力が見えてくるのかもしれません。
以上、「ジョージハリスン無双が見れたかも!?ビートルズ『Abbey Road』の幻の次回作」でした。おしまい。
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もう少しビートルズを詳しく知りたい方は、歴史を押さえておきましょう。10分で分かるバージョンを用意しております。そして、忘れちゃいけない名曲ぞろいのシングルの歴史もあります。
手っ取り早くビートルズの最高傑作を知りたい方は、ロックの専門誌「ローリングストーン」誌が選出したオールタイムベストアルバムの記事を読んでください。ロックを含むポピュラー音楽史の中で評価の高いアルバムをランキング形式で紹介しています。
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