もし実現していたら?ビートルズ『Abbey Road』後の幻のアルバムとジョンの4曲

ジョンレノン

ビートルズの最後の公式アルバムは『Let It Be』ですが、実は『Abbey Road』の方が後に録音されています。そのため、ビートルズの実質的な最後のアルバムは『Abbey Road』だとするのが一般的です。その後、バンドは解散しましたが、実は新しいアルバムを作る計画もあったと言われています。

1969年に『Abbey Road』がリリースされた後、メンバー間で次回作について話し合われた記録が音声データで残っていたようで、これをビートルズの歴史研究家であるマーク・ルウィソーンが英ガーディアン紙に公開しました。2019年秋のことです。この音声には、ビートルズが次のアルバムについて議論する様子が収録されており、完全に決裂する前に、何らかの形でアルバム制作の可能性が模索されていたことがわかります。もし実現していたら、どんな作品になっていたのでしょうか。

音声データに残る議論の内容のままの作品ができたとすると、ジョン・レノンが4曲、ポール・マッカートニーが4曲、ジョージ・ハリスンが4曲、そしてリンゴ・スターが2曲を持ち寄る形でアルバムが構成された可能性が高いと考えられます。どの曲が選ばれ、どのような流れになったのかを想像するだけで、興味が尽きませんね。

もし次回作が実現していたなら、そのサウンドはどう変化していたのでしょうか。『Abbey Road』のような統一感のあるアルバムになったのか、それとも各メンバーが持ち寄った楽曲を中心に、より個々の色が強く出た作品になったのか。想像するだけでも、音楽ファンにとってはたまらないテーマです。

そんな「もしも」の世界があったなら、メンバーはどんな楽曲を用意したのでしょうか。今回は、ジョンの4曲を予想したいと思います。毎度のことながら、独断と偏見にまみれていますが、ご容赦を。ではまず、候補となる楽曲から紹介します。

ジョン・レノンの次回作に用意する候補曲

候補曲の選定として、2つの基準を用意しました。まずは、1968~1970年の段階で構想として存在していた曲であること。それから、ビートルズのセッションで演奏されたことがある楽曲であること。これらいずれかに該当する曲を候補曲としています。いちおう好き勝手に選んでないということをご理解ください。それから網羅しているわけでもないことをお含みおきください。まずはこの曲。

Cold Turkey(1969年に発表)

「Cold Turkey」は、ジョンが1969年に発表した過激なロックナンバーであり、深刻な薬物中毒からの禁断症状を赤裸々に描いた衝撃的な楽曲です。ジョンはこの曲をビートルズ用に提案したものの、メンバーから却下され、最終的にソロでリリースすることになったと言われています。

楽曲はヘビーなギターリフと切迫感のあるボーカルが特徴で、エリック・クラプトンがギターを担当。ジョンの感情を剥き出しにしたような歌唱と、全体的にダークで緊張感のあるサウンドは、当時のビートルズの音楽性とは一線を画しています。

もしビートルズが解散せず、次回作を制作していたとすれば、「Cold Turkey」のビートルズバージョンが存在した可能性もあると思いませんか。この曲のテーマや音楽的なアプローチは、ビートルズのカタログの中では異色であり、他のメンバーがどのようにアレンジを加えていたかは興味深いところですね。ポールのメロディ志向や、ジョージのスピリチュアルな傾向とどのように折り合いをつけたのかを想像すると、ビートルズ版「Cold Turkey」は現在のソロバージョンとはかなり異なるものになっていたかもしれません。

Gimme Some Truth(後に『Imagine』収録)

「Gimme Some Truth」は、ジョンが「Get Back」セッション中(1969年1月)にすでに構想していた楽曲であり、辛辣な社会批判を歌ったロックナンバーです。最終的には1971年のアルバム『Imagine』に収録されていますが、1969年の時点でビートルズの楽曲として発展する可能性も十分にあったと思います。

楽曲はシンプルなコード進行に乗せて、ジョンがラップのようなリズミカルなボーカルスタイルで言葉を畳みかけるのが特徴で、政治的な欺瞞や社会の不条理を鋭く批判する内容です。『Imagine』バージョンでは、ジョージがスライドギターを担当し、その演奏が曲に緊張感と深みを与えています。もしビートルズの次回作に収録されていたとすれば、「Revolution」のような曲と並び、ジョンの社会的メッセージを強く打ち出した一曲になっていたかもしれませんね。

ただし、ポールやジョージがこの曲にどう関わったかによって、現在のバージョンとは異なるアレンジが生まれていた可能性も考えられます。たとえば、ポールがよりキャッチーなベースラインを加えたり、ジョージがインド音楽の要素を取り入れることで、ビートルズならではの音楽的深みが増していたかもしれません。

Child of Nature(後に『Jealous Guy』に改作)

「Child of Nature」は、ジョンが1968年にインドで書いた楽曲で、のちに「Jealous Guy」として生まれ変わることになる曲です。 マハリシ・マヘーシュ・ヨーギーの講義に触発され、穏やかでフォーク調の曲として作られていて、『ホワイト・アルバム』の制作時にデモが録音されていました。ただ、どういう理由なのか、最終的には採用されずにお蔵入りとなります。その後、1969年の『Get Back』セッションでも一度演奏されていますが、本格的なレコーディングには至りませんでした。

時が経ち、ジョンはこの曲のメロディを活かしつつ、新たな歌詞を書き加えます。そして1971年のアルバム『Imagine』で「Jealous Guy」として完成。オリジナルの「Child of Nature」が自然をテーマにした歌詞だったのに対し、新たなバージョンでは後悔や内省といったパーソナルなテーマへと変化しています。

もし「Child of Nature」がビートルズのアルバムに収録されていたらどうなっていたでしょうか? 「Mother Nature’s Son」や「Across the Universe」と並ぶ、静かで幻想的な楽曲として仕上がっていたかもしれません。ポールやジョージがどのようなアレンジを加えたのか、どんなハーモニーがつけられたのか。想像するだけで、別のビートルズの可能性が広がります。

Look at Me(後に『John Lennon/Plastic Ono Band』に収録)

「Look at Me」は、1968年頃に書かれたアコースティック主体のフォーク調の楽曲です。繊細なギターアルペジオが特徴で、「White Album」に収録された「Julia」と雰囲気がよく似ています。トラヴィス・ピッキング(親指でベースラインを弾きながら他の指でメロディを弾くテクニック)の奏法が取り入れられており、これは当時ジョンが影響を受けていたドノヴァン(1960年代のフォークやサイケデリックな音楽で人気を博したミュージシャン)のスタイルにも通じるものです。シンプルながらも美しいメロディが際立ち、歌詞にはジョンの内省的な想いが色濃く表れています。

もしビートルズのアルバムに収録されていたとしたら、どのような形になっていたでしょうか。「White Album」の「Julia」や「Abbey Road」の「Because」のような、静かな楽曲と同じ位置付けの曲になっていたかもしれません。ただ、他のジョンの楽曲と比べるとやや地味な印象もあり、バンドアレンジによってどのように変化したのかは想像の余地が残ります。例えば、ポールがベースラインやハーモニーを加えることで、曲の印象が大きく変わった可能性があります。

Oh My Love(後に『Imagine』に収録)

「Oh My Love」は、1968年頃にはすでに構想されていた、ジョン・レノンとヨーコ・オノの関係を象徴するようなシンプルで美しいバラードです。 1971年のアルバム『Imagine』で正式に録音され、ジョージ・ハリスンがギターを担当したことでも知られています。温かみのあるサウンドが特徴で、シンプルながらも浮遊感のあるコード進行が、ジョンのボーカルと柔らかく絡み合うギターの旋律を際立たせています。歌詞には愛の純粋さと深さが込められており、もしビートルズのアルバムに収録されていたとしても違和感はなかったでしょう。

ただ、『Get Back』セッションでは演奏された記録がなく、ジョン自身もビートルズのレパートリーとして提案していません。そのため、バンドでアレンジを試みた形跡もなく、次回作に含まれる可能性は低かったと考えられます。しかし、もしビートルズがこの曲を録音していたら、ポールがピアノやバッキングボーカルを加えたり、ジョージがスライドギターをフィーチャーしたりすることで、より豊かで洗練されたサウンドに仕上がっていたかもしれません。

I Found Out(後に『John Lennon/Plastic Ono Band』に収録)

「I Found Out」は、1969年にはすでに曲のアイデアが存在していた可能性が高い、ブルース色の強い荒削りな楽曲です。この曲は、ジョンの怒りや幻滅をストレートに表現したもので、歪んだギターとシンプルなリズムが特徴的です。歌詞のテーマは欺瞞や宗教、社会に対する批判であり、ビートルズが持っていたポップなイメージとはやや異なる、攻撃的な側面を持っています。

もしビートルズとして演奏されていたとすれば、「Yer Blues」や「Come Together」といったレノン主導のブルージーな楽曲と並ぶ存在になっていたかもしれません。しかし、「I Found Out」は非常にラフなサウンドを持ち、ジョンの個人的な感情が強く反映された曲であるため、ビートルズの洗練されたアルバム制作の流れの中ではやや異質だった可能性があります。

Give Peace a Chance(1969年にソロでリリース)

「Give Peace a Chance」は、1969年にジョン・レノンがPlastic Ono Band名義でリリースした楽曲であり、反戦運動の象徴となった一曲です。
カナダ・モントリオールで行われたベッド・インの最中に録音され、シンプルなリズムと繰り返されるフレーズによって、聴衆が参加しやすいアンセム的な楽曲となっています。リリース時の作曲クレジットはLennon-McCartneyでしたが、実際にはジョンが単独で作った曲でした。

もしビートルズが解散せず、次回作の制作に進んでいたとすれば、この曲がバンド名義で収録されていた可能性は十分に考えられます。ジョンはこの時期、自らの思想を直接的に表現することを重視しており、「Give Peace a Chance」はまさにその象徴的な作品でした。ビートルズとして録音されていた場合、ポールがベースラインを強調し、ジョージがリードギターで楽曲に彩りを加え、リンゴのドラムがよりダイナミックなリズムを生み出していたかもしれません。

アルバム『Abbey Road』の後に制作されるビートルズの次回作は、メンバーそれぞれの個性をより前面に出した作品になる可能性が高く、「Give Peace a Chance」もその中の一曲として収録されていたとしても不思議ではありません。バンドのサウンドの中でこの楽曲がどのように変化していたのか、想像するだけでも興味深いところです。

Instant Karma!(1970年にソロでリリース)

「Instant Karma!」は、1970年1月に制作され、ジョン・レノンのソロ作品の中でも最もポップでキャッチーな楽曲の一つです。この曲は、ジョンが「一日で仕上げて、すぐにリリースできる楽曲を作りたい」と考え、短期間でレコーディングされたことでも知られています。フィル・スペクターによるプロデュースのもと、ウォール・オブ・サウンドが活かされ、力強いピアノとコーラスが印象的なサウンドを生み出しています。

もしビートルズが1970年時点で解散していなければ、この曲がバンドのアルバムに収録されていた可能性もあります。しかし、楽曲の制作時期がビートルズの次回作構想(1969年9月)よりも後であることを考えると、その可能性は低いと言えるでしょう。さらに、ジョン自身がこの時期にはすでにバンドからの独立を強く意識していたため、ビートルズの楽曲として発表されるよりも、ソロ名義でリリースされるのが自然な流れであったと言えます。

次回作に収録されるジョンレノンの4曲はこちら(予想)

もしビートルズが『Abbey Road』の次のアルバムを作っていたら、ここにあげたジョンの候補曲の中からであれば、どれが収録されていたでしょうか? 選ぶポイントは、以下の3つでしょうか。

  • 1969年9月までに存在していたか
  • ビートルズのセッションで演奏されていたか
  • ジョン自身が当時発表しようとしていたか

この条件をもとに、特にアルバム入りの可能性が高そうな4曲を選んでみました!

Cold Turkey

ジョンはこの曲をビートルズの楽曲として出したかったのですが、メンバーの反応がイマイチだったため、結局ソロでリリースされたとい経緯があります。でも、もしバンドとしてアルバム制作を続けていたら、収録されていた可能性はかなり高いはず。リフ主体のブルース・ロックにジョンのシャウトが乗るこの曲、もしポールやジョージが積極的に関わっていたら、もっとバンドらしいアレンジになっていたかもしれません。

Give Peace a Chance

すでにソロ名義でリリースされている曲ですが、もしビートルズが解散せずに続いていたら、バンド名義になっていた可能性はかなり高い気がします。1969年のジョンは政治的メッセージを音楽に込めることに力を入れていたので、次のアルバムの中でこの曲を推していたかも。ビートルズの楽曲になっていたとしたら、シンプルな構成にもう少しメロディアスなアレンジが加わっていたかもしれませんね。

Gimme Some Truth

『Get Back』セッションですでに演奏されていたこの曲は、ビートルズとして仕上げられる可能性が十分にありました。最終的には『Imagine』でリリースされましたが、もしビートルズの次回作に入っていたとしたら、より「Come Together」に近い、シンプルでグルーヴ感のある仕上がりになっていたかも。ジョージのスライドギターがどうなっていたかも気になりますね。

Child of Nature

この曲は1968年にはすでにできていて、『Get Back』セッションでも演奏されていました。後に「Jealous Guy」へと変わりましたが、もしビートルズの次回作に収録されていたら、歌詞はオリジナルのままで、アコースティックなフォーク調の楽曲になっていた可能性が高いと思います。「Mother Nature’s Son」みたいな雰囲気になっていたかもしれませんね。アルバムのバラード枠として選ばれていた可能性は十分にあります。

まとめ:もし『Abbey Road』の次があったなら

ビートルズの最後のアルバム『Abbey Roaad』の次に、もしもう一枚アルバムがあったら…。そんな想像をするのはファンにとっての楽しみのひとつです。今回は、ジョンの楽曲を中心に選んでみましたが、ポールやジョージの曲、そしてリンゴの曲も交えれば、まったく新しいビートルズのアルバムが生まれるかもしれません。

実際に『Get Back』セッションではさまざまな未発表曲が演奏されており、それらをどう組み合わせるかはファンの自由。曲順やアレンジを考えながら、もし実現していたらどんなアルバムになっていたのか、自分なりの「ビートルズ最後のアルバム」を作ってみるのも面白いかもしれませんね。

以上、「もし実現していたら?ビートルズ『Abbey Road』後の幻のアルバムとジョンの4曲」でした。おしまい!

\ オリジナルアルバムの紹介記事を読む  /

全オリジナルアルバムの聞きどころを紹介。詳しいアルバムガイドです。購入に迷っている方は読んでください クリックして詳しく読む

もう少しビートルズを詳しく知りたい方は、歴史を押さえておきましょう。10分で分かるバージョンを用意しております。そして、忘れちゃいけない名曲ぞろいのシングルの歴史もあります。

 さくっと【10分で分かる歴史】をクリックして詳しく読む

 シングル曲の歴史をクリックして読む

手っ取り早くビートルズの最高傑作を知りたい方は、ロックの専門誌「ローリングストーン」誌が選出したオールタイムベストアルバムの記事を読んでください。ロックを含むポピュラー音楽史の中で評価の高いアルバムをランキング形式で紹介しています。

歴史上最も評価の高いアルバムランキングを紹介!ビートルズの作品は何位?

\ ビートルズのグッズを買うならこの店しかない!  /


世界で一番歴史の長いビートルズ専門店「GET BACK」

コメント

タイトルとURLをコピーしました