10分でわかるビートルズの歴史!人気バンドの誕生から解散までをざっくりまとめました

ビートルズについて

ビートルズ(The Beatles)に興味を持ち、彼らの音楽を聞いたり彼らのことが書かれている書籍を調べたりすることは人生を豊かにする行為だと言っても過言ではありません。

ビートルズをあまり知らない若い世代にも彼らの曲は届いていて、「あ、この曲、聞いたことがある!」みたいなことを言われることがよくあります。そして…

「ビートルズの曲だったの?」

と、言われることも。

ビートルズを何となくでしか知らない人も増えています。そんな人にもっとビートルズを知ってもらいたく、彼らの歴史をざっくりと年表形式でまとめました。ぜひ参考にしてください。

 ビートルズの歴史を解散からデビューへと逆から辿ってみた記事はこちら

 ビートルズ入門編!スゴイところをまとめた記事はこちらからどうぞ。

全英/全米で1位を記録した27曲が最高の音と映像で登場! 2000年にリリースされ全世界で3200万枚のセールスを記録。2000年代に最も売れたアルバムです。これ1枚でだいたいビートルズがわかる!でも、わかってからがビートルズ道のスタートです。ビートルズ研究のスタート地点に立たせてくれるアルバムです。

ビートルズが港町リバプールで誕生してからデビューするまで

ビートルズのメンバーの誕生

1940年7月7日 リンゴ・スター(本名:リチャード・スターキー)誕生

1940年10月9日 ジョン・ウィンストン・レノン誕生

1942年6月18日 ジェイムズ・ポール・マッカートニー誕生

1943年2月24日 ジョージ・ハリソン誕生(出生届は2月25日)

 ビートルズのメンバー紹介はこちら

全員イギリスのリバプール出身です。最年長はリンゴとジョン。彼らの2歳年下がポールで、さらにその1歳下がジョージです。メンバー間で3歳の年齢差があります。いつまでたっても年下扱いするポールをジョージは根に持っています。

1957年3月 ジョンがビートルズのルーツとなるバンドのクオリーメンを結成

1957年7月6日 ジョンとポールが出会う

1957年7月7日 ポールがクオリーメンに参加

1958年2月 ジョージがクオリーメンに参加

ここまででビートルズの骨子をなす3名がそろいました。このころから3人はずっと一緒です。リンゴの加入はもう少し先です。

デビューまでの下積み時代

1960年6月 バンド名をビートルズに変更

1960年8月 初のハンブルグ巡業でリンゴに出会う

ハンブルグ巡業中、別のバンドのドラマーとして来ていたリンゴに出会います。ハンブルグで人気を獲得しつつあったビートルズですが、1960年11月にジョージがビザなし労働がバレて強制送還、翌月12月にはポールがボヤ騒ぎを起こしてドイツ国外退去処分を受けます。

1961年1月より キャバーンクラブに出演

1961年3月 再びハンブルクへ 髪型がマッシュルームカットへ

1961年6月 ドイツで「マイボニー」発売(ト二ーシェリダンのバックバンドとして)

1961年11月9日 ブライアンエプスタインがキャバーンを訪れる

後にマネージャーとなるブライアンがビートルズに興味を持ったのは、経営するレコード店「ネムズ」に少年が訪れ、「ビートルズのマイボニーというレコードありますか?」こう尋ねたのが切っ掛け。少年の名はレイモンドジョーンズ。長くその存在を疑問視されていた人物です。

1962年1月24日 ブライアンエプスタインと正式にマネジメント契約を結ぶ

1962年3月 元旦に受けたデッカ・レコードのオーディションから不合格通知が届く

この時、ビートルズを不合格にさせたのは同社のディック・ロウ。「これからギターのグループは流行らない」的なことを言ったそうです。”世界一見る目のない男”として有名になりました。

1962年7日 EMI傘下のパーロフォンとレコード契約を結ぶ

1962年8月23日 ジョンがシンシア・パウエルと結婚

1962年8月 リンゴスターがビートルズに加入

リンゴが加入するまでピートベストがビートルズのドラムを担当。解雇通告は3人の総意だったようです。3人はどうしてもリンゴと演奏したかったのでしょう。この3人から求められるドラマーはこの惑星でリンゴだけです。

さて次からはいよいよデビューです。リバプールの4人組がイギリス・ヨーロッパを席巻し、ついにはアメリカ合衆国、世界を征服していきます。


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