ビートルズ(The Beatles)の登場は世界中に衝撃を与えました。音楽面での衝撃は言わずもがなですが、ファッションの面でも大きな衝撃を与えています。
例えば、マッシュルームカットです。ヨーロッパ界隈ではそれほど衝撃ではなかったようですが、ことアメリカ合衆国での反響はすごかったようです。そして襟なしジャケットも衝撃でした。これに関しては令和の今なお衝撃的な感じがしますが…。
世界に衝撃を与えたこれらのスタイルの誕生に、とあるドイツ人の女性が大きくかかわっています。そのドイツ人女性とは写真家のアストリッド・キルヒャーです。
彼女はどうやって初期ビートルズスタイルを生み出したのか?
恋人を自分好みのスタイルに変えていったのがきっかけだった
アストリッドがビートルズに出会ったのは1960年のハンブルグです。カイザーケラーというライブハウスでのこと。当時恋人だったクラウス・フォアマンと共にアストリッドはビートルズに出会います。二人はともに美術学校出身。いわゆる芸術家でした。
ビートルズのとの親交を深めていくうちにアストリッドはビートルズのメンバーの一人と恋人関係になります。そのメンバーは、当時在籍していたスチュアート・サトクリフです。
かわいそうなクラウス…。でも最終的には二人の関係を認めたようです。
恋人関係になって以降、アストリッドによるスチュ改造計画が開始されます。
まずは髪型です。スチュにリーゼントスタイルを放棄させ、前髪を眉毛近くまで垂らして切り揃えた"自分好み"のヘアスタイルにコンバートさせます。アストリッドのお好みのヘアスタイルだったようで、元恋人のクラウスの髪でも実践していたようです。
そうです。これがマッシュルームカットの原型です。
前髪を垂らしたスチュからビートルズにそのヘアスタイルは伝播して、後に世界中に広まっていきます。アストリッドの好みのヘアスタイルが世界に広がっていったのです。
襟なしジャケットもアストリッドの好み!?
マッシュルームカットと並んで初期ビートルズの代表的なスタイルと言えば、襟なしジャケットです。このジャケットに関してもアストリッドが大きく関与している模様。
襟なしジャケットもスチュ改造計画の一環として実施されたものでした。
アストリッドはフランスのピエールカルダンのスタイルをアレンジして襟なしジャケットを作り上げます。そしてスチュから革ジャンをはぎ取り、それを着せます。さらにはペアルックに仕立て上げ、自分も着たそうです。
相当スチュにご執心ですね。
襟なしジャケットを着たスチュを見たビートルズの面々は笑っていたそうです。ただ数年後、ビートルズの面々も気づけば襟なしジャケットを着こみロックンロールを奏でています。
このあたりがビートルズの謎めく部分です。
アストリッドの好みが世界中に広まっていった!
マッシュルームカットや襟なしジャケットの他にも世界中に広まったアストリッド案件があります。今回は好みというよりも得意技。ハーフシャドウという写真の撮影法です。
『ウィズザビートルズ』のアルバムジャケットは、このハーフシャドウの手法を用いて撮影されています。撮影したのはロバート・フリーマンというカメラマンですが、撮影時にビートルズのメンバーがアストリッドが撮影した写真を見せて、同じようにしてくれと依頼したそうなのです。
出来上がったのが、ビートルズの4人の顔の半分が影になっているあのお馴染みのジャケット。これもまた世界中から注目を集めることになります。
こうしてみるとアストリッドは1960年代のファッションやアートに大きく貢献しています。そのセンス、才能はやはり抜きんでていたのだと思います。
それにしてもアストリッドもびっくりしたでしょうね。
もともと彼女は恋人のスチュを変えようとしていただけなのに…。気づけば国境を越え、そして時代も超えるファッションとなったのですから。
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コメント
ビートルズのマッシュルームカットはレコード会社から強制されたと聞いていますよ。今まではバリバリのリーゼントだったのにジョン レノンは特に嫌がって最後までしなかったと聞いていますよ。