ビートルズとは、言わずと知れたイギリスのロックバンドですね。メンバーは、ジョンレノン、ポールマッカートニー、ジョージハリスン、リンゴスターの4人。活動期間はデビューから約8年。この間に彼らは世界を変えました。
そんなビートルズの歴史を知りたくて、いろいろネットの記事を読むんだけど、いつもデビューから初期のあたりで時間切れになっちゃって、
- 中期以降のビートルズをあまり知らない
- 後期ビートルズって何をしたの?
- 中期・後期ってどんな曲があるの?
もしかしたら、そんな人もいるかもしれない…、ということで、今回はビートルズの歴史を解散からデビューまでさかのぼって紹介します。逆から歴史をたどれば、ビートルズの別の側面が見えてくるかもしれないという期待をこめて。
ざっくりビートルズの歴史をまとめています。
▼ 動画もありますので、ぜひどうぞ(前編)
まずは、1970年の解散から。
名作アルバムを生み出すものの人間関係のすれ違いから解散した後期
1970年にビートルズは解散してしまいます。デビューから約8年間の活動に終止符を打ちました。解散の原因はいろいろと語られていますが、ざっくりいうとメンバー同士の人間関係のすれ違いです。ビートルズの歴史年表を逆にしてみました。
ビートルズの解散をめぐる愛憎劇
1970年12月31日 ポールがビートルズの正式解散を求める訴訟を起こす
1970年5月8日 12thアルバム『レットイットビー』発売
1970年4月10日 ポールがビートルズ脱退を表明
1970年3月6日 22thシングルLet It Be発売
1970年1月3日 ビートルズとして最後のレコーディング(ジョンは不参加)
こうしてみると、ビートルズの解散にはポールマッカートニーが関わっているように見えますね。解散の原因はポールにあるっぽく感じられます。でも、実際は、ご存知の通り、そんなに単純な話じゃないようです。
むしろポールは、ビートルズを存続させたいと思っていました。でも、1970年のころには、それはもう叶わない…と、悟ったのかもしれません。なかば自暴自棄状態にあった中、「ビートルズと共に創作活動することはない」とインタビューに答えてしまったのが1970年の4月10日です。
そうすると耳に入ってくるのが、ポール以外の3人のメンバーが他メンバーをビートルズに迎えようとしているという噂…。そこでポールがとった措置がビートルズ正式解散の訴訟でした。
ジョン、ポール、ジョージ、リンゴ…、4人でビートルズ!!最後まで、ご機嫌な4人組のビートルズを守ろうとしたのは、ポールマッカートニーだったのだと思います。
ポジティブなポールの心を折ったゲットバックセッション
ポールはなぜビートルズの存続をあきらめっちゃったのでしょうね。あのポジティブなポールの心を折るなんてよっぽどのことがあったのだと思います。そのよっぽどのこと、それはゲットバックセッションだったのかもしれません。
1969年10月31日 21th両A面シングルCome Together/Something発売
1969年9月26日 11thアルバム『Abbey Road(アビーロード)』発売
1969年7月 気持ちを新たにレコーディングセッション開始
1969年5月30日 20thシングルThe Ballad of John and Yoko発売
1969年5月 アルバム『ゲットバック』の発売がお蔵入り
1969年4月11日 19thシングルGet Back発売
1969年3月20日 ジョンがヨーコ・オノと結婚
1969年3月12日 ポールがリンダ・イーストマンと結婚
1969年1月30日 伝説のルーフトップコンサート
1969年1月2日 ゲットバックセッション開始
ゲットバックセッションとは、その名の通りGet Back(もとに戻ろう)という意図のもと開始されたレコーディング・セッションです。
中期以降、ビートルズは様々なレコーディング技術を駆使して、ライブ演奏不可能なサウンドを作り上げていました。ゲットバックセッションでは、そうしたサウンドをやめて、初期のころのサウンドに戻ろうとしていました。
また、メンバー同士の人間関係にもすれ違いがあったため、もう一回、初期のころのように仲良くやっていこう!という意図もあったと思います。
まあ、このセッション、上手くいきませんでした。上手くいかなかったと言われています。結局、このゲットバックセッションはお蔵入り。『Let It Be』というアルバムに名前を変えてリリースされるまで放置されていました。
メンバー自身も「散々だった…」とか「失敗だった」とか言っています。サウンド面だけでなく、人間関係の修復もかなわなかったのでしょう。このセッションのポールとジョージの口論は有名ですね。
このゲットバックセッションの後、アルバム『Abbey Road』という名作を作るのですが、それで人間関係が元に戻るわけもなく、ポールの心は折れっちゃったのかなと予想します。
それにしてもなんで、こんなに人間関係がこじれっちゃったのでしょうか?
『The Beatles(通称:ホワイトアルバム)』は4人のソロアルバム?
人間関係がこじれちゃった要因はいろいろとあると思います。リンゴはビートルズの解散について、夫婦が離婚するみたいなものと語っています。決定打なんてなく、じわじわと解散にむかっていったのだと思います。それを前提として、逆年表をどうぞ。
1968年11月22日 9thアルバム『The Beatles』発売
1968年8月30日 18thシングルHey Jude発売
1968年7月17日 アニメーション映画『イエローサブマリン』公開
1968年3月15日 17thシングルLady Madonna発売
1968年2月 瞑想のためインドへ
4人の人間関係がギスギスしてきたと語られるのが、『The Beatles(通称:ホワイトアルバム)』のレコーディングのあたりです。実際に、リンゴが一時的に脱退するなどの事件を起こしており、またこのころからオノヨーコの存在もじわじわと目立ってきています。
…と、こういう犯人さがしは良くないですね。
私としては、この人間関係のギスギスは、レコーディング技術の進歩により生じたのじゃないかと思っています。『The Beatles』のセッションの途中で8トラックのレコーダーが導入され、もう4人そろってレコーディングする必要がなくなってしまいました。
これですね、ギスギスを大きくしたのは。
このアルバムは、ジョンとポール、ジョージのソロ作品の集合体みたいな感じになっていきます。ポール作の収録作品Why Don't We Do It in the Road?ではジョンとジョージが不参加だし、ジョンはなぜかオノヨーコに一部ボーカルを取らせているし、ジョージはジョージで友人のエリッククラプトンにギターの演奏をお願いしてるし…。
そしてポールからドラミングに文句を付けられるリンゴ。
『The Beatles』は、超大作にして超名作アルバムなんですが、メンバーのそれぞれがそれぞれの作品で好き勝手にやりたい放題。まあ、サウンドや完成度へのこだわりがそうさせたのでしょうね。
ちなみにこうした作品へのこだわりは、ビートルズのお家芸なんです。後期の作品もこだわってるけど、もっとこだわっていたのが中期。こだわりぬいて、現代音楽史に残る作品を連発しています。次は、そんな中期ビートルズについて。
コメント