原点回帰を目指すも4人はバラバラに個性の時代から解散まで
4人が個性を発揮しすぎてしまうホワイトアルバムの時期
1968年2月 瞑想のためインドへ
ジョージとジョンは2ヶ月滞在。ポールは一定の成果を得て40日で帰国。リンゴに至っては飯がまずいといって10日足らずで帰国します。ここでも4人の個性が分かりますね。
1968年3月15日 17thシングルLady Madonna発売
パロフォーンレーベルからの最後のシングル。以降の作品はビートルズが自ら設立したアップルレコードの作品となります。
1968年7月17日 アニメーション映画『イエローサブマリン』公開
1968年8月30日 18thシングルHey Jude発売
ビートルズ最大のヒット曲となったHey Judeは、ジョンの息子ジュリアンにむけてポールが作った曲です。7分を超える常識破りな曲です。2012年のロンドンオリンピックでも演奏されました。
1968年11月22日 9thアルバム『ザ・ビートルズ』発売
このアルバムの制作期にリンゴが一時的に脱退をする騒動を起こしますが、すぐに戻ってきます。前作で見られたコンセプトはなく、4人がそれぞれやりたいことをしたアルバムと言われ、ビートルズ崩壊の始まりの作品とも言われています。でもめちゃくちゃ売れます。


解散を目前に見せた最後の輝き
1969年1月2日 ゲットバックセッション開始
初期のころのように、4人そろって一発録音スタイルを目指してはじめられたセッションです。このころになると、レコーディング技術が発達して、4人がスタジオにそろうことが稀になっていました。そこに問題意識をもったメンバーは初期のころのようにしようと集まります。
1969年1月10日 ポールとの口論によりジョージが一時的に脱退
1969年1月17日 10thアルバム『イエローサブマリン』発売
ビートルズの公式アルバムで唯一1位にならなかったアルバムです。アメリカビルボード最高位2位どまりでした。ちなみにこの時1位だった作品はホワイトアルバムです。
1969年1月30日 伝説のルーフトップコンサート
1969年3月12日 ポールがリンダ・イーストマンと結婚
1969年3月20日 ジョンがヨーコ・オノと結婚
1969年4月11日 19thシングルGet Back発売
1月から開始されたゲットバックセッション中にレコーディングされました。険悪なムードの中で制作されたシングルですが、やたらと売れます。全世界で1000万枚を売り上げています。
1969年5月30日 20thシングルThe Ballad of John and Yoko発売
謎!
1969年5月 アルバム『ゲットバック』の発売がお蔵入り
1969年7月 気持ちを新たにレコーディングセッション開始
1969年9月26日 11thアルバム『アビーロード』発売(全曲紹介はこちら)
グループ内のゴタゴタ、解散間近と噂される中で、完璧ともいえるクオリティの作品を世に送り出します。ビートルズは最後の最後までファンをいい意味で裏切り続けます。
1969年10月31日 21th両A面シングルCome Together/Something発売
Somethingはジョージ初のシングル曲です。ビートルズは最後の最後でさらに名曲をぶっこんできますね。
1970年1月3日 ビートルズとして最後のレコーディング(ジョンは不参加)
1970年3月6日 22thシングルLet It Be発売
1970年4月10日 ポールがビートルズ脱退を表明
1970年5月8日 12thアルバム『レットイットビー』発売(全曲紹介はこちら)
お蔵入りになったアルバム『ゲットバック』をフィルスペクターの手で再編集。『レットイットビー』という名でリリースしました。解散、ラストアルバムという話題性から爆発的な予約数370万枚を記録。音楽史上最高の予約枚数を樹立しています。
1970年12月31日 ポールがビートルズの正式解散を求める訴訟を起こす
The dream is over



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